第1章 冬のバクー、光と風のあいだで
―― 過去と未来が重なる冬の都市

カスピ海の西岸にあるバクーは、アゼルバイジャンの首都。
“風の都”と呼ばれるこの街には、乾いているのにどこか甘い香りが漂い、光が砂の粒のように舞う。コーカサスの玄関口として、石造りの旧市街と炎のような現代建築が、ともに息づいている。
バクーという街は、過去と未来を一直線に並べて見せようとはせず、石の城壁とガラスの塔、静かな中庭と光の走る夜景が、同じ時の流れの中で、ほどよい距離を保ちながら共存している。
昼間のバクーは「歴史を読む街」。舗道の凹凸や建物の陰影に、王朝や交易の記憶が刻まれている。
一方、夜になると語ることをやめた街は「光」として存在し、その対比はあたかもこの場所が「積み重ねてきたものを否定しないための距離」を、静かに示しているようにも感じられる。
新しさは、古いものを押し退けることなく、少し後ろで同じ方向を向いている。バクーは変化を誇示することなく、変わらずに存在し続けたものの上に、そっと未来を置く街なのかもしれない。

バクーの中心部には、城壁に囲まれた旧市街が広がっている。
石畳の路地は細く折れ曲がり、必ずどこかで行き止まりになるが、不思議と迷っている感はない。幾層にも「時」が重なったこの場所を、人々は歩調を緩め、のんびりと歩いている。
旧市街の一角は世界遺産に登録されているが、この場所では「保存されている」ということよりも、古い建物の中で、今なお日常の営みがあることに価値を感じる。
バクーの街中を歩いていると「言葉」が目に見える形で残されていることに気づく。
広場や通りの一角に立つ詩人の像は記念碑というよりも、この街の思考がどの向きにあるのかを示しているようだ。
詩は読むものというより、共有され、受け継がれてきたものに近いアゼルバイジャンでは、文学は特別な領域に閉じ込められていない。建造物と同様に、言葉が街の一部として存在している。
王宮裏手の公園にあるのは、アゼルバイジャンの近代文学を代表する詩人・風刺作家ミルザ・アラクバル・サビルの像。「笑いを武器にした知性」の象徴として、今なお人々に愛されている。
そのすぐ近くにあるのが「ニザミ文学博物館」。旧ソ連時代を含めて「断絶されなかったアゼルバイジャン文化の核」とも言える場所で、国家樹立以前から続く「言語」「詩」「思考」がここに蓄積されている。ファサードのアーチ部分には、詩人・文学者の像が並んでいる。


時が立ち止まった旧市街
城壁に囲まれた旧市街は、バクーの中心部に今なお静かに息づいている。
石の層に刻まれた時間は一つの年代に回収されることなく、いくつもの「時代」が、現在と同じ地平で並んでいる。

その中でも、ひときわ古い時をまとっているのが「乙女の塔」。建造年代、用途、名前の由来などに諸説があるこの塔だが、その価値はむしろ曖昧さによって保たれているようにも見える。
バクーの旧市街を歩いていると、ここでは「説明」が主役ではないことに気づく。乙女の塔も例外ではなく、ただそこに在り続けることで、観る側の解釈を静かに受け入れている。
その乙女の塔の上から視線を巡らせてみると、旧市街は「名所の集合体」ではなく、一つに連なっていることが分かる。街を囲む城壁も時間の速度を落とすために在るかのようで、城壁の外側から足を踏み込んだ瞬間、足取りも思考も不思議なほど緩やかになる。
城壁沿いには、かつての王宮や宗教施設、ハマムの跡が点在している。それらは切り離されることなく、街の構造の一部として残されている。一方、夜になると乙女の塔は輪郭だけを残し、昼間とは別の存在感を放つ。石の質感は闇に溶け、塔はひとつの影のようになる。
夜の旧市街を抜けると、視界の先には、まっすぐで明確な「光」が立ち上がっている。その光は、この街や国の「未来」を指し示しているかのようである。

