コンテンツへスキップ

第2章 未来を描くという国家の選択

―― 国家の意志をかたちにした建築

周囲の大国に翻弄され、何度も国としての体制変更を余儀なくされてきたアゼルバイジャンは、ソ連という枠組みを離れた後、自分たちの国家像をゼロから組み立て直さなければならなかった。

アゼルバイジャンの場合、近代化は同時に「国としての輪郭をつくる」ことであり、世界の中で「どう見られるか」を定義することでもあった。つまり、自分たちが何者であるのかを、自分たちのかたちで示す必要があった。それを最も明確なかたちで示したのが「ヘイダル・アリエフ・センター」である。

名称にあるヘイダル・アリエフは、ソ連時代から独立後の両方をまたいで国家運営に関わった政治家で、その名や写真は空港や大通り、公共施設、学校・文化施設、記念日関連の掲示など各所で目にする。現代アゼルバイジャンにおいては「国家形成期の象徴」 として位置づけられている。




直線の都市に、曲線の建築が置かれた意味

ヘイダル・アリエフ・センターは、文化拠点を再定義し、教育、文化、市民の集う空間を一体化した複合施設で、連続する曲線・折れ目のない外形が特徴的だ。
権威的な「正面」を持たない、どこから見ても入口に見える、内と外の境界が曖昧に設計されており、さらに広場から建築へ、建築から内部空間へと、途切れず流れるように構成されている。

建物内部も直線や角を極力排し、風や波の延長のように空間が広がっている。曲線は脱・旧時代のメッセージ、白一色の外装は「余白」を表現。天井高や視線誘導も緻密で、人が小さくならない、展示・光・人の動きが主役になるように設計されている。そこには「未来像を語るための器」としての意識が強く感じられる。

また、制限・制度・基盤の中でのイスラムの抽象性やシルクロードの混交、社会主義の教育基盤が重なった、アゼルバイジャンの説明しきれない洗練された美意識が、随所に散りばめられているのも見て取れる。
そうしたヘイダル・アリエフ・センターは国際的な評価も高く、数々の国際建築賞を受賞している。


ヘイダル・アリエフ・ミュージアム内部(歴史)

ヘイダル・アリエフ・ミュージアム内部(文化・芸術)


館内に足を踏み入れると、視線は自然と上へ、さらに奥へと導かれていく。
空間は区切られているはずなのに、どこか連続しており、展示を見るという行為そのものが、ひとつの流れとして設計されていることが体感でわかる。
あえて未来像を文章やスローガンで示さず、まず“未来について考えさせる空間”を用意している。

展示の内容は、歴史、文化、国家の歩みと多岐にわたるが、どれも過度な説明を伴わない。
情報を詰め込むのではなく、選び取り、余白を残し、配置している。
それは過去をすべて語り尽くすことよりも、未来に向けてどの記憶を持ち運ぶのかを示す、一連の作業のようにも見える。

とりわけ印象的なのは、伝統と現代を対比として扱わずに、古いものは「保存」され、新しいものは「提示」されている点。どちらかがどちらかを覆い隠すことはなく、同じ時間軸の中で、異なる距離感を保ちながら並置されている。
国家が自らをどう語りたいのか、その編集方針が空間として可視化されている。

バクーの旧市街が「歩くことで時間を読み取る場所」だとすれば、ヘイダル・アリエフ・センターは「眺めることで未来を想像する場所」なのかもしれない。





小展示|音の記憶

ヘイダル・アリエフ・センターでは、視覚的な造形だけでなく、音の文化についての展示も行われている。音を組み立てることもまた、建築同様に秩序と構造を与える行為であると言え、空間の中に配置された旋律は、時の流れとして設計される。
ここに展示されているタール(写真)は、アゼルバイジャン文化の中心にある弦楽器のひとつで、宮廷音楽から詩の朗誦までを支えてきた。

ソ連から独立した国々は、 自国の言語が公的に消え極端にロシア化が進んだり、民族文化が地下化した国と、それらが守られた国とに二分されるが、アゼルバイジャンは「消されなかった共和国」。国としての輪郭が維持され、アゼルバイジャン語が生き残り、そしてムガム(旋法)などの民族音楽も継承された。

芸術が贅沢品ではなかった旧社会主義圏では、国家が音楽やバレエ、美術や建築を「教養」として制度化した。その結果、自由が制限されていた分、水準が高く、独学的な歪みが少ない、制限内での工夫と抽象化が異様に発達した。

アゼルバイジャンのムガムは、西洋的な拍子進行の音とは異なり、詩・旋律・感情の流れが主役。どこか知的でありながら、どこか抑制されていて、でも強い、という印象を受ける。